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多くの人が漠然とイメージしているよりも、音楽シーンは自由な場所ではない。いや、「現在の日本の音楽シーンは」とあえて言うべきだろうか。音源の制作、宣伝の戦略、ライブの現場、フェスの現場。それらの場所では、常に「最適化の罠」が待ち受けている。「みんながこうしてるんだから、君たちもこうしたら?」という有象無象の同調圧力。まさに“近眼のゾンビ”たちが蠢く世界。
ハルカのフラジャイルな感性を剥き出しにした言葉。ミユキの不敵な佇まい。デビュー時からハルカトミユキの音楽を追ってきた人ならば、彼女たちが体現していたのは、まさにそんな「生きにくい」世界へのレジスタンスであったことを覚えているだろう。そして、もともと「生きにくさ」を抱えていた彼女たちは、この国の音楽シーンで「サバイブ」(嫌な言葉だ)するために、その上にさらに異なる種類の「生きにくさ」をも重ねてきた。
その「生きにくさ」は、我々が生きているこの世界の「生きにくさ」とシンクロして、リスナーとの間に新たな「共感」を生み出すことになった。その「共感」の手触りは時に温かく、時に冷たく、時に優しく、時に厳しく。決して「傷の舐め合い」のようなものではなく、それぞれの人生を送る/生活を営む上で、確かな勇気になったはずだ。ハルカトミユキの2人にとって、そしてリスナーにとって、ライブの現場が特別な意味を持つようになったのもその頃だ。
ハルカトミユキにとって3枚目のフルアルバムとなる本作『溜息の断面図』を生み出した熱源の一つは、そんなライブの現場でオーディエンスとの間に生まれた新たな「熱」であったに違いない。フルアルバムとしては前作にあたる『LOVELESS/ARTLESS』において開花したミユキが傾倒する80年代ニュー・ウェーブ的意匠も細部において健在だが、本作の全体を覆っているのはより驚くほどエモーショナルなメロディと詩情の奔流だ。
デビューからもうそろそろ5年。ここまでハルカトミユキは何を得てきて、何を失ってきたのか。ここでそれを彼女たちに問いかけるのは無粋かもしれない。卑弥呼やジャンヌ・ダルク、あるいは『風の谷のナウシカ』から『ストレンジャー・シングス』まで、古今東西の史実やフィクションに特別な力や感覚を宿した「少女」が存在してきたのは、男性社会が生み出したただのファンタジーというわけではない。鈍感で呑気で即物的で粗野な少年たちの隣で、見えないものまで見えてしまう少女たちはいつの時代にも確かに存在してきた。しかし、そんな少女たちの瞳もいつしか曇っていき、現実という壁の前で数々の決断をせまられることになる。ハルカトミユキのデビューからの歩みもまた、そんな決断の連続であったはずだ。
“わらべうた”で幕を開け、まるでかつてのPJハーヴェイを思わせるような呪術的な調べにのってハルカが《もういいかい まあだだよ もういいかい もういいよ》と繰り返す“終わりの始まり”で最初のピークを迎える本作『溜息の断面図』が感動的なのは、そんな残酷な現実に対して、彼女たちがここで改めて抗う姿勢をみせているところだ。

もしこの世界が失われていくばかりだとしたら、そこで私たちは何を頼りに生きていけばいいのか? そんなすべての「かつては少女だった」誰かの「溜息」の断面図が刻まれた12曲。終盤の“僕は街を出てゆく”、“嵐の舟”、“種を蒔く人”の3曲で、彼女たちは一つの答えのようなものへと辿り着く。もちろん、この旅にはまだまだ続きがあるだろう。本作で蒔かれた種が、この先どのように実を結んでいくのか? 我々はそれを目撃していくことになる。

溜息が溜息のままなのは、違和感が違和感のままなのは、
それを表現する言葉を持っていないから。
それをチープで安直な言葉に置き換えて、自分を騙したり他人を攻撃することは容易い。
でもそうして言葉を選ばなくなることは思考停止です。
情報の玉石混淆甚だしく感受性を守ることすら難しいこの時代に、歌に何ができるのか。
言葉によって世界が創られたならこれから世界はどんどん狭くなっていく。
それをどうにかせき止めるために。
このアルバムを作りました。

チケット発売日:5/27(土) チケット前売:全自由¥3,900+ドリンク代
- ◆アルバム レコ発3days、終演後にサイン会開催(3会場全て終演後に行います)!
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2017.6.28(水)SHIBUYA WWW X
2017.6.29(木)SHIBUYA WWW
2017.6.30(金)SHIBUYA CLUB QUATTRO
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